糸もみじのブログ

シャニマスの感想。

浅倉透Landing Point——喪失の向こうに見つけた、ほんの少しの希望

透のLanding Pointコミュ、特にラストのコミュに関する雑記です。

 

 

 

 

※ここからはLanding Pointのコミュ内容に関わる話をしています。前情報なしで読みたい方は避けてください。

 

 

 

 はじめに透のLanding Point(以下LP)を読んだときの率直な感想は、「一通り見たけど、どういうこと?」でした。これは読んだ当時の私↓

考えがまとまらなくなった主な理由は、G.R.A.D.の内容との激しい温度差です。前回記事で振り返ったように、G.R.A.D.は透の前向きな変化が描かれた温かく包み込んでくれるようなシナリオだったと思っています。*1

しかし、LPのコミュで印象的だった透の感情は苦悩や葛藤、怒りといったもので、全体的に彼女の苦しむ姿が目立ったように思います。

彼女の中でいったい何が起きていたのでしょうか?

いくつかの話題に絞って整理していきたいと思います。

 

 なお、この記事は透のLanding Pointコミュを通じて私が感じたことをベースに書いています。そのため、特に後半(目次で言うと、「決断の行方は」以降)は結構な割合で自分語りが入ったと思っています。今回はそういう文章としてとらえてもらえたらと思います。

 

 

 

縛り


 LPコミュ全編にわたって透が向き合うのが、大手デベロッパーが建設する新施設のモデル依頼です。依頼主が大手企業ということもあり、イメージ毀損に関する契約条項が描かれ、損害賠償の話も登場します。つねに企業イメージがついてまわれば、プライベートでの振る舞いも制限されるかもしれません。それはプロデューサーに言わせれば「毎日が仕事になる」こと。

自身の行動への制限や周囲にかかる迷惑について考えることになった透は窮屈さを覚え、事務所に顔を出さなくなっていきます。

 

憩いの場所


 契約のこともあり、窮屈さを覚えた透が通った場所として描かれるのが、街中の古い映画館です。入れ替えなしの映画館のため、閉館時間まで滞在することもできますが、賑わっている様子はなく、店員の接客も印象がいいとは言えません。イメージとしては、寂れた名画座が近いでしょうか。その"ゆるい”感じに心を惹かれてか、透はこの映画館に頻繁に通うようになります。

 映画館ではさまざな出会いがありました。いつもいると話す女子高生2人は透と写真を撮り、劇場売店の女性店員とローカルなやり取りを繰り広げます。劇場の男性スタッフは1人のシアターで大声を出す透に軽く注意したり、閉館時間まで寝ている透を起こし、裏口から帰したりします。

どれもゆったりした時間の流れを感じさせるやり取りで、ゆったり過ごせる空気感がみてとれます。

 

「オエイシス、イエ―」より。賑やかなやり取りを見てふんわり笑う透

 

 しかし、売店のコーラが缶に変わって、ベンダー*2が止まって透が楽しく過ごしている間にも、映画館には閉館の足音が忍び寄っていました。

 


 そして、あっという間に閉館の日が訪れたのです。

 

 映画館に駆けつけ、閉館の案内文を読んだ透。

跡地に立つというショッピングビルの建設会社は、なんと透に依頼をしている大手デベロッパーでした。透にイメージモデルの依頼があった施設は、彼女が大切にしていた映画館を潰してできる施設だったのです。

 

————あそこじゃん」

 

「あそこじゃん これ」

 

そう知ったときの透の険しい声色。

 

「————ふふっ 無理だわー」

 

そして、糸の切れたような、力の抜けた声。

 

このときの透の反応の衝撃は今も忘れられそうにありません。


決断の行方は


 LP最後のコミュ「ラスト」では、単独ライブを終えた透が、プロデューサーと一緒に閉館した映画館前で話す様子が描かれます。同時に描かれるのが、ショッピングビルの看板の撮影場面です。結論から言えば、透は大手デベロッパーの仕事を請けたことになります。

契約の制約や映画館の一件を経て、なぜその結論に至ったか。2022年10月の今でも私ははっきりとした考えがまとまっていません。

 

 そこで、今回は「映画」と「看板」の2つのことを中心に、映画館閉館後の透の様子から感じたことを書き留めようと思います。


[映画]ラストを見ないのは


 透が映画館に通う間に観ていたのは「高校の先生がアパートで爆弾を作る」作品でした。毎回のように透は寝てしまい、ついに映画館の開業期間中に見終えることはできませんでした。

ただ、透は映画に対しては「知りたくないから、ラストのことは」と言って続きを見ようとはしていません。

コミュ中の透を見る限り、作品自体に飽きたりがっかりした様子はありませんし、そういった時の口調もどこか晴れやかで明るい雰囲気がありました。


では、なぜ最後まで見ようとしないのでしょうか。

その映画が好きで通っていたのではなく、映画館という空間が好きで通っていたため、映画の内容自体にそれほどこだわりはない——というのもあるでしょう。

ただ、それなら「ラストのことは知りたくない」という発言に直接はつながらない気がしますし、透の明るい口調とも一致しないように思います。

 

 私は、透の「知りたくないから、ラストのことは」という気持ちは——たとえば、ずっと追ってきた好きな小説の最終巻を読みたくない——そんな気持ちに似ているのではないかと思っています。

小説の話はあくまで私の場合ですが、2年前に完結した作品の最終巻をまだ読めていないんです。「最終巻を読み終えたら本当に終わってしまう」と思うと、どうにも手が止まってしまうんですね。(予約して買ったのにいまだにエバー・アフターを読みきっていない人)

 

もちろん、透がどう感じてこの発言をしたかは本人にしかわからないところです。ただ、もし彼女が映画を見終えないことで、彼女自身の中で映画館を終わりにしないでいられると考えたとしたら、それはとても素敵なことだなと思います。

 

[看板]見たらきっと思い出す

 

 閉館した映画館を前に、透はそこで関わった人たちが自分の看板を見るかどうかを思います。

映画館で透と関わった人たちが看板を見れば、アイドル浅倉透を知らなかった人も含めて、映画館にいた女の子のことを思い出すかもしれません。思い出すその場面は、看板が出る頃にはもう消えてしまった、かつての映画館でのワンシーンです。

透と関わった人たちにとっては、「浅倉透」がかつての映画館とショッピングビル(現在、未来)を繋げてくれる存在になりうるのではないでしょうか。

自分たちが過ごした思い出の場所に何の繋がりも感じられない施設ができる虚しさと比べれば、そこに少しでも繋がりを感じられる存在があって、透自身がそういう存在になれるとしたら、それはほんの少しの幸せの贈り物になりうると、そう信じています。

 

誰かや何かを通じ、少しずつ、過去と現在、未来は繋がっていて、それはけっして断片的なものではない————「街はつづく、人生みたいに」というテーマにも、もしかしたらそんなメッセージがあったのかもしれません。